2010年1月31日日曜日

商売繁盛笹もってこい? は本当かも?

津島屋の近くにある、市神さん(いちがみ と読みます)では、2月23日に十日市というお祭りが開かれます。市神さんはふだんから商売繁盛の神様として皆さんお参りされています。


私事ですが、私も5年前初めて市神さんの十日市に行って、縁起もの「笹飾り」をいただいてきたところ、その年の業績は前年度比、約1.5倍になり、「市神さまさま」と感謝しています。

縁起ものの笹飾りは、数量が少ないため、朝早い時間に売り切れてしまいます(10時、11時には売り切れていました)ので、御希望の方は、早い時間にお参りを。WAYA

2010年1月27日水曜日

野鳥

厳冬の日々、寒いですねぇ。
当館の休館日は月曜です。
先日の25日(月)、白鳥を見に行ってきました。

当館から車で30分ほどにある
愛西市福原地区の木曽川は、白鳥の越冬日本最南端で、
毎年約10羽の白鳥(コハクチョウ)が来ており、先日も13羽がいました。
3月初旬までいるはずです。

親子でくつろいでいる野鳥をボンヤリと見ていると、とてもホンワカしてきます。
他にもたくさんのカモ類や探せば猛禽類もいます。
素人なので、何かはわかりませんが・・・。

 一方、当館の近くにある天王川公園には、
 ユリカモメがたくさん越冬し、冬の風物詩になっています。

天王川公園は、四季折々の風景が見れます。
何もありませんが、おすすめの散歩コースです。

2010年1月24日日曜日

受験シーズンですね

受験シーズンですね。受験の神さまといえば、天神さんが有名ですが、津島神社にも「菅原社」(天神さんがあるの、ご存知ですか?
神社南門を出てすぐ、西側です。
菅原社の中には、歌人の与謝野晶子さんの歌碑があります。

二もとの銀杏を於きて自らは
紅き津しまの神の楼門

昭和10年10月に、津島高等女学校(現、津島高等学校)の創立20周年記念の講演に来られた時、詠まれた歌です
1年中、参拝者の絶えない津島神社ですが、歌碑に気づかれる方は少ないようです。

与謝野晶子さんが津島に来られたころのお雛さまを、今、津島屋の蔵に飾っています。昭和6年生まれのお雛様です。御殿造りで、立派なのですが、とても可愛らしいお雛様です。どこが、可愛らしいか?  ぜひ見に来てください。
                                                                            文責 WAYA

2010年1月20日水曜日

チョコ その2

アーモンドチョコレートに関するブログのコメントをいただきありがとうございました。

当館の控え室でも、「食べ比べ試食会」が続いています。

G社とL社のアーモンドチョコを買ってきました。
・・・微妙な味の差がありますねぇ・・・(笑)。
味音痴の私には・・・ですが、
グルメである某理事さんの御意見は、りりぃさんと同じでした。
普段はここほどまで味わったことはなかったのですが、
各社の企業努力には頭が下がるねぇ・・・、と評論家気分になっております(笑)。

2月14日(日)当館主催バレンタインコンサートには、
喫茶コーナーを設営し、利用いただきますと、
プレゼントとして、七種チョコ(!)と義理クッキー(?)を用意してあります。

お陰さまで、
バレンタインコンサートのチケットも少なくなっています。
お早目に・・・(おなもみ)

2010年1月15日金曜日

日記

’03年1月3日の日記によれば・・・
「退職を3月に控え、元日より10年日記を書き始めた。今日で3日目となり、とりあえず3日坊主は、クリアーした万歳!!」とある。

以来今日まで7年経ちいよいよ8年目に突入!正直な所、我ながらよくも続いたものと感心する。
自分を誉めてやりたいものだ。

元々筆不精で作文や日記の授業は逃げ出したい方であった。夏・冬休みの日記などは、まともに書いた記憶がない。また、会社に入ってから幾度となく日記を書く事に挑戦するも”3日坊主”に終り長続きはしない。忙しい事を理由に直ぐ辞めてしまうのである。またどうしても書かなければいけない事などないからである。

退職を控えた前年の暮れに、再度挑戦しようと思いたち、今度は高価な10年日記を名駅の三省堂で購入した。
3日坊主に終わっては、とても、もったいなくて辞める事が出来ない状況を作った事が今日まで続いた主な原因かと思っている。
今では、寝る前に書かないと落ち着かない気分である。瞬時に昨年・一昨年等の出来事が、見る事が出来、楽しみでもある。

この10年日記もあと僅か3年弱で終わってしまう。
100才まで残り35年と少なくなってしまった。10年日記にすると僅か3冊と半分である。
今日も何事もない平安な一日であった。いや原稿を書け!と言われて買いているのであるが、今後も書かねばいけないと思うと気が滅入ってしまう・・・と今日の日記に書いておこう。  

ボケ防止にと日記を書き始め、唯一の楽しみとなってしまった一老人の独り言

2010年1月14日木曜日

チョコ

今年の津島神社「七草祭」(=旧暦1月7日)は、バレンタインデー(新暦2月14日)に当るため、当館主催イベント「ななくさ祭」でチョコレートをプレゼントできないかと検討しています。

M社の箱入りアーモンドチョコレートを食べながら、「ああでもない」「こうでもない」、と言っていると、理事の一人が入ってきて、「こっちのチョコの方が美味しいよぅ」と袋入りのアーモンドチョコを差し入れしてくれました。

確かに美味しい・・・???

でも、袋を見ると、同じM社ではありませんか・・・。
食べていたチョコが美味しくないのは、冷蔵庫に一週間入っていたせい?(笑)。
それとも、理事はG社のアーモンドチョコのつもりだったのかなぁ・・・???(笑)。

1月7日の「ななくさ祭」も、平安時代の文献には、「七草粥」ならぬ「七種粥」とあります。
同じ発音ではありますが中身は違います。興味ある人は調べてみてください。

アーモンドの種を7つ入れて、七種チョコレートにしようかぁ・・・(笑)。

2010年1月6日水曜日

ななくさ祭

正月七日は、世に言う「春の七草」という風習があります。

当館では、七草、七草粥、春の七草などを説明するパネル展を開催しておりますが、
調べてみると、平安時代、江戸時代、そして、近現代では、そのとらえ方が違うようです。
現代のような飽食(この言葉も死語?)の時代、
「おせち料理や祝い酒など、正月に疲れた胃腸に対し、薬草である七草を粥で食べる」
というのが、現代風の解釈として最も妥当のようで、
七草の栄養学的な効用を見てみると、なかなか優れものです。
昔の人は、スゴイ!!

さて、日本の神様は、分業が成り立っており、神社によってご利益が違います。
当館からも近い津島市の名所・津島神社、近世は津島牛頭天王社とも呼ばれ、
無病息災、疫病退散を司る神さまを祀っています。
当然、かつて、七草祭も津島神社の重要な祭事だったようで、
江戸時代末期の七草祭は大変賑わった、と古文書に書かれていますし、
当館を訪れる津島在住の初老の皆さんも、50年前も賑わっていたと言われます。

そんな歴史を紹介し、当時の催事を再現しようと、
当館では、来る9日(土)と10日(日)に
「津島市観光交流センター新春企画第1段」として「ななくさ祭」を開催します。

上記津島神社春の祭礼をもっと知りたい方、
雅楽・筝曲、伊六万歳などの芸能祭で、古き良き時代を味わいたい方、
七草粥を食べてみたい方、
お時間のある人・・・ は、是非遊びに来てください。

ちなみに、津島神社の七草祭は、2月14日(旧暦の1月7日)が予定です。
なんと、今年の七草祭はバレンタインデーです。
当館の新春企画第2段は、バレンタインコンサートを予定しています。
七草入りチョコレートを作ってプレゼントしようと思いましたが、
七草とチョコレートは絶対合わない!と猛反対されました(笑)。

2010年1月5日火曜日

吉法庵日記 名前の由来・・・

2010(平成22)年、明けましておめでとうございます。
新しい年に、新しいブログを開設しますので、よろしくお願い申し上げます。

さて、「ブログ」を開設することにはなりましたが、
実は、「ブログの名称」がなかなか決まりませんでした。
年末に「今日までに考えておく」はずでしたが、
年末年始は、何かと雑用に追われ、しっかり失念していました。

今朝は、2010年の仕事始め・・・、
中庭で「名称決まりました?」と問われ、
たまたま、目の前にあったのは、当館「まつりの館」の「蔵」でした。
その入口には達筆な文字で「吉法庵」と書かれております。
当館が開設された昨年4月、津島市の職員と当館を運営している「NPO法人 まちづくり津島」の
理事さん達が相談し、織田信長の幼少名「吉法師」に ちなんで命名された名称です。

当館(愛知県津島市本町1丁目)は、
織田信長の父・織田信秀が住んでいた勝幡城から南西2kmほどの位置にあり、
勝幡を通って清州と津島をつなぐ、近世の津島上街道沿いにあります。
この道は京都と東国をつなぐ古代東海道にも沿っています。
織田信長は、1534(天文3)年に勝幡城に生まれたと伝わり、
当時、津島湊の中心市街地だった当館前で「うつけ者」ぶりを発揮していた(?)と伝わります。

蔵の中で、このブログを書いているわけではありませんが、
たまたまそこに居合わせた津島市ガイドボランティア会のアイさんの賛同で、
本ブログの名称に「吉法庵日記」は洒落ていると即決した次第です(笑)。

織田信長は中世から近世へ時代を塗り替えた郷土の偉人、
閉塞状態となった現代日本において、
私も、信長の人生からいろいろと学びたいと考えておりますし、
津島市としても、何か「まちおこし」のヒントを得たいと思っております。

ということで、
これから「信長の台所」から、信長の出生地を汚さない程度に
「津島の花鳥風月を、つれづれなるままに」書かさせていただきます。

よろしくお願いします。     (おなもみ)